長野県 その2   
    上伊那郡辰野町 戦艦大和館長 有賀幸作中将顕彰碑&墓地
    諏訪大社御柱祭り  山下清放浪美術館茅野市 諏訪湖大花火大会
 諏訪市文化財片倉館
    飯田市元善光寺 昼神温泉 長岳寺(武田信玄終焉の地) 
    飯田市 東山道園原の里
(枕草子、源氏物語 義経伝説 古事記伝説の地)

長野県 その1 はこちらをご覧ください
上田地方無言館(戦没画学生慰霊美術館) 別所温泉 上田城 松代城
   松本 穂高 伊那市のお寺&松川町 
   諏訪市 井上靖原作 風林火山の武田信玄、諏訪頼重関連 
   諏訪市木村岳風記念館、生誕地 墓地のある
地蔵寺 
    諏訪市 新田次郎生誕100周年記念写真展 墓地の有る正願寺

長野県 上伊那郡辰野町  2011/8  戦艦大和艦長 顕彰碑&お墓 訪問

 戦艦大和艦長有賀幸作中将(沈没時大佐)の故郷上伊那郡辰野町平出の法性神社に顕彰碑、浄土宗見宗寺に有賀家のお墓がある。
   
戦艦大和に関する詳細な記述はこちらをご覧下さい。


法性神社入り口鳥居横の顕彰碑
碑文は右に

顕彰碑 国に捧げた君達の尊い
いのちよ とこしえに世界平和の
いしずえたれと祈る

有賀家の墓所
浄土宗見宗寺本堂の裏手中央に
有賀幸作中将 
昭和20年4月7日没
戒名
至誠院殿顕誉義烈純忠大居士
妻好子 昭和59年11月21日没

建立は孫の有賀正幸

現在東京在住

長野県 諏訪地方   2010/4 諏訪大社御柱祭り

2010/4 諏訪大社御柱祭り 寅年と申年の6年毎開催される諏訪大社の盛大なお祭り。起源は遠く平安時代初期桓武天皇の時代から信濃国の国司が総力上げて取り組んだお祭り。現在では諏訪地方20万人の氏子による盛大な祭典。この柱は八ヶ岳山麓から25Km程をおよそ3000人の氏子により人力だけで曳行される原始的なお祭りで、直径約1m長さ17m重さ12〜13トン樹齢200年程の樅の木。
 
諏訪大社の祭神は出雲から逃れてきた建御名方神(タケミナカタの神)で有る。大国主命の御子である。大国主命の生涯は何回も絶体絶命のピンチに追い込まれても死の寸前に助かる話の連続。建御名方神は出雲の軍団を率いて国譲りに最後まで反対し抵抗し続けたが、国津神の総帥大国主命はヤマト(天孫降臨族で外来系の朝鮮人と考えられるニニギノ尊やスサノオノ尊)に敗北して稲佐の浜に逃れて入水したらしい。建御名方神(タケミナカタの神)諏訪へ逃れて諏訪地方を治め、諏訪大社の祭神になったと考えられている。出雲を逃れる祭に銅鏡や銅鐸、剣を出雲に埋めてきたと考えられ、それが現在発掘されているものだと考えられている。
御柱祭りは縄文時代からの日本全国に及ぶ巨木文化が、唯一諏訪神社に残ったもので、自然への畏敬の念と感謝の念が生きていると考えられる。NHKの御柱祭り特集の放送によると、費用はおよそ120億円かかり、全て20万人の氏子平均6万円の負担である。

 
諏訪大社下社(春宮と秋宮)の御柱祭りは上社(前宮と本宮)の一週間後に開催され、上社と同じく2社で合計8本の御柱が建てられる。

諏訪大社上社本殿
2010/4/4

諏訪大社上社本宮1の柱
6年前のもの間もなく撤去

木落とし坂の景観
2010/4/3 茅野市

前宮2の柱木落とし直前
2010/4/3 12:00

前宮1の御柱を川越しへ曳行
2010/4/3 茅野交差点付近

川越し見学の群衆 約1万人
茅野市宮川、前宮1の御柱を待つ 2010/4/3 14:31

川越し見学の群衆 約1万人
2010/4/3 15:46

到着した前宮1の御柱
2010/4/3 16:05
予定では14:00川越しである。

川越し直前の前宮1の御柱
2010/4/3 16:17 2時間遅れ

茅野市 宮川へ入った御柱
2010/4/3 16:18 寒い川

川越し中の御柱
2010/4/3 16:23
2010/4/3、4/4の二日間で諏訪大社の上社 (前宮、本宮)の合計8本の御柱が宮川を越えて近くの御柱屋敷に4週間係留される。
そして2010/5/3、5/4の里曳きと建御柱を待つのである。
お祭りの進行はとにかく遅い。氏子は時間をかけて存分に6年毎の盛大なお祭りを楽しんでいる。
2010/5/4は諏訪大社上社本宮の建御柱。
2010/5/8,9が下社の里曳きと建御柱

諏訪大社前宮入口の人、人
2010/5/3 12:25

交通規制で前宮へ入れない
2010/5/3 12:32

建て御柱を待つ氏子達
2010/5/3 12:42

前宮2の御柱位置合わせ開始
2010/5/3 12:44

前宮2の御柱立ち上げ中
2010/5/3 15:26
元気なラッパ隊、木遣り唄、掛け声は勇ましいが、とにかく進まない。

前宮2の御柱立ち上げ中
2010/5/3 15:35
予定より3時間遅れ
立ち上げ開始から2.5時間

前宮2の御柱立ち上げ完了
2010/5/3 15:50

前宮3の御柱立ち上げ完了
2010/5/3 15:48約2時間遅れ

御柱祭りの由来 寅年と申年に実施直径1.2m長さ17m18トン
20数キロの八ヶ岳山麓から数千人の氏子の協力で引き出す

諏訪大社上社一の御柱
平成22年5月建立

諏訪大社上社神楽殿
大太鼓
江戸時代のもの
2011/4/3撮影

諏訪大社上社御柱川越の様子
神川 2010年4月3日祭り
2011/4/3撮影

片倉館 ロマン漂う洋風建築千人風呂
片倉財閥2代目片倉兼太郎が昭和3年建造 上諏訪駅南側
 2011/4/3

片倉館 諏訪市文化財

片倉館 諏訪市文化財
休憩室駐車場有100台
設計者 森山松の助
東京大学造家学科

御柱川越の場所から
川上観覧席方面を望むを
2011/4/3撮影

諏訪湖間欠泉
2011/4撮影

内山霊園のつつじ
岡谷市塩尻峠2013/5/18

内山霊園のつつじ
岡谷市塩尻峠2013/5/18

長野県 諏訪地方

山下清放浪美術館 放浪の貼り絵画家、その才能に感動した。見事な作品である。
諏訪市中央高速諏訪インター付近に常設。 2010/4/4訪問
  山下清 略歴 1922/3/10(大正11年)浅草生まれ、1940年18歳から放浪を初め昭和31年34歳まで13年間の放浪生活。主として貼り絵画家であるが油絵や水彩画、フェルトペンによる絵も見事である。絵を見る限り知的障害が有るとは信じられない、まさに天才画家である。
  彼は諏訪地方、茅野、辰野町や小野村に時々長期滞在しては沢山の貼り絵を残した。放浪中は駅のベンチや神社の境内を宿代わりにしたが、時々民家や別荘に宿泊した事も有った。親切にしてくれた人へは貼り絵を御礼として残した。美術館では大変丁寧に説明してくれる。
昭和36年には四十数日間のヨーロッパ旅行で50点以上の作品を残した。昭和46年7月12日突然の脳出血で帰らぬ旅へ。49歳。

山下清放浪美術館 
2010/4/4訪問

ナイアガラ花火と見物人
諏訪湖 例年8月15日開催

小田原城

オランダの風車

2010/8/15諏訪湖花火大会 大音響で驚きと感激の20000発、見物人50万人 打ち上げる初島の近くの道路で座って見物。


上諏訪駅東口
花火見物者で大混雑

華麗な諏訪湖花火
爆発音と爆風に驚く

華麗な諏訪湖花火
燃えカスがパラパラと落ちてくる

フィナーレを飾るナイアガラ
点火1分後の景観の一部

諏訪湖花火のフィナーレ 華麗な ナイアガラ 点火直後の景観 2010/8/15 19:03
ナイアガラは花火大会最後のイベントとして点灯される実に華麗な花火である。点火時間は丁度21:00であるがこれを堪能すると花火見学者50万人が一斉に帰宅を始める為、大混雑となる。たったの数百メートルの上諏訪駅までは整然とした行列で規制され、上諏訪駅のホームまで到着するのにおよそ1時間30分を要した。

諏訪湖花火のフィナーレ 華麗な ナイアガラ 点火1分後の景観 2010/8/15 19:04
花火が良く見える諏訪湖の岸辺はすべて有料で¥3500/人と高価である。
群集が帰宅を始めた20:45頃、幸運にも有料席に無料で入る事が出来た。 \(^o^)/

長野県飯田市散策 2012/3/11 フィリピン思い出の会


元善光寺山門 飯田市
602年本多善光により
善光寺如来を安置

元善光寺本堂
642年勅命により長野市善光寺に
如来が移され、代わりの本尊有り

飯田市水引美術館 龍
水引の糸で作った芸術品

飯田市水引美術館 盛花
隈部さん撮影

長野県下伊那郡阿智村 2012/3/11〜12  武田信玄公は三方が原で家康軍に圧勝したが一旦甲斐の国武田城に帰城した。
 翌年野田城攻めの後、肺の病のため、上洛を中止し、伊那谷を経て甲斐の国へ帰城途中病が急変し、1573/4/12天正元年ここ駒場の山中で肺の病で死亡した。
 ここに天下取りの夢が費えた。遺骨は諏訪の小坂観音院の近くの諏訪湖の沖合いに埋められていると言う伝説が有る。  53歳没
 


ホテル阿智川で記念写真
フィリピン思い出の会 隈部氏撮影

天台宗長岳寺山門 
武田信玄公終焉の地

天台宗長岳寺本堂
下伊那郡阿智村駒場

長岳寺本堂の武田信玄公像

長野県下伊那郡阿智村智里 
  
東山道(1300年の昔、近江国 勢多から陸奥国 多賀城に至る1000Kmの道)と古文学 園原の里 2012/3/12
   
園原は清少納言の枕草子に「原は園原」と表現されている。
   箒木は信濃国園原伏屋にある木。遠くから見れば箒を立てた様に見えるが、近寄ると見えなくなるという伝説の木。
   古今和歌集 坂上是則の歌「園原や伏屋に生ふる箒木のありとてゆけど逢わぬ君かな」
  
源氏物語では光源氏と空蝉が箒木を使って恋歌を交わしており、源氏物語第2巻の題名となっている。
   
箒木の心を知らで園原の 道にあやなく惑いぬるかな 光源氏    数ならぬ伏せ屋に生ふる名のうさに あるにもあらず消ゆる箒木 空蝉


源義経 駒つなぎの桜
義経が奥州へ下る時

海の神を祀る神坂神社と
樹齢2000年の日本杉の大杉
右手前は大和武尊腰掛石

1900年程昔の古事記の世界

ははき木(箒木)と説明碑
源氏物語第2巻の題名として
使われている。

ははき木(箒木)全貌

長野県 その1 はこちらをご覧ください
   上田地方無言館(戦没画学生慰霊美術館) 別所温泉 上田城 松代城
   松本 穂高 伊那市のお寺&松川町 
   諏訪市 井上靖原作 風林火山の武田信玄、諏訪頼重関連 
   諏訪市木村岳風記念館、生誕地 墓地のある
地蔵寺 
   諏訪市 新田次郎生誕100周年記念写真展 墓地の有る正願寺

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