広島 
広島平和公園&縮景園
 2006/4/20


広島駅 2006/4/20

原爆ドーム

安らかに眠って下さい。
過ちは 繰返しませぬから

2才で被爆、白血病に
倒れた 
佐々木禎子
(12才)と
千羽鶴

縮景園 広島藩主浅野長晟
1620年〜別邸の庭として築成

縮景園

縮景園

広島県尾道市 日立造船向島造船所 
男たちの大和 & 西国寺 
2006/4/18


尾道駅

戦艦大和実物大模型
船首菊花紋章

船首部分

船首部分甲板

中央部
(実物大模型で有るが中央部
司令塔は安全の為省略)
1941.12.16呉海軍工廠竣工
全長263m 最大幅38.9m
公式排水量 69,100トン
主砲45口径46センチ3連装
3基9門射程42Km
砲弾 1460Kg
副砲60口径15.5cm3連装
4基12門射程27Km
乗員3,332名、生存者276名
沈没1945.4.7
九州南西海底

西国寺
平安時代前期
重要文化財

西国寺 3重の塔
1429年足利時代
重要文化財
映画 男達の大和 エピソード
辺見じゅん(角川春樹の姉)原作 ハルキ文庫 出版 東映映画 文芸春秋平成18年新年号の情報(角川春樹の随筆) 主人公の内田貢兵曹は戦艦大和生き残りで、戦後一匹狼のやくざとなった。平成14年3月7日永眠 戦後6人の孤児を育てた。平成16年4月7日沈没の同日、養女の内田牧子さんが大和戦没地点へ散骨。
 「内田兵曹、ただいま帰りました。長生きさせていただき、有難うございました。」

 と、亡き戦友たちに礼を言った。(これは実話。映画でも) 戦艦大和発見、艦首の菊花紋章撮影成功。昭和60年十大ニュースの7位。辺見じゅんの強い要望で角川春樹が私財を投じて発見したもの。平成16年8月9日映画化記者会見が行われた。この日早朝に角川春樹と辺見じゅんの母親照子永眠。映画完成試写会平成17年11月7日 原作開始から24年経過。私が鑑賞したときは映画が終わってもなかなか誰も席を立とうとしない時間が長かった。友人は偶然同じ日に新宿で鑑賞したそうですが、終わったら全員で拍手をしたそうです。
戦艦大和の最後 吉田満不朽の名著 
    
(奇跡の生還者、海軍少尉副電速士、大和生き残り、戦後日銀幹事)
 学徒出陣の下士官と士官学校出の下士官が大和の中での特攻で自分たちが死ぬことの意義についての議論になり、その結果殴り合いの喧嘩、それを制した言葉。海軍兵学校71期 臼淵 磐 大尉21歳の言葉
「進歩の無いものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ」「日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や特技にこだわって、本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。今日目覚めずしていつ救われるか。俺達はその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか。」映画では長嶋一茂が扮してこの通り述べた。
 臼淵大尉(後部副砲指揮官)直撃弾に斃れる 智勇兼備の若武者 一片の肉 一片の血を残さず 死を以って新生の目覚めを切望したる彼 真の建設への捨石として捧げ果てたるかの肉体はあまねく虚空に飛散せり。徳之島北西200海里の洋上、「大和」轟沈して巨体四裂す。水深430m今尚埋没す3千のムクロ。彼ら終焉の胸中果たして如何。
 又戦艦大和最高司令官伊藤整一中将がヤマトの沖縄特攻出撃命令を受ける会議の際、最終的に納得して、出撃を決心した言葉は「日本人一億特攻のさきがけになるのだ。」  中将「それならば何をかいわんやだ」

広島県呉市 大和ミュージアム  2006/4/19見学

大和司令長官=第二艦隊司令長官:伊藤整一中将  
大和艦長:有賀幸作大佐(私と同じ長野県上伊那郡朝日小学校卒業)         司令長官、艦長はいずれも海軍兵学校卆


戦艦大和艦長(戦死後中将)の出身地の長野県上伊那郡辰野町の神社に顕彰碑、浄土宗見宗寺に墓所がある。
こちらをクリックして下さい


大和ミュージアム

戦艦大和 1/10模型

中央指令塔部

巨大な4基のスクリュー

巨大な大和のスクリューと舵
スクリューは4基 
舵は前後に15m間隔2枚

主砲45口径46センチ
3連装3基9門
射程42Km砲弾 1460Kg

ゼロ戦

ゼロ戦エンジン

江田島海軍兵学校跡(現海上自衛隊学校) 2006/4/20
呉港より小用行きフェリー20分


小用行きフェリー
20分

大講堂裏入り口
大正6年花崗岩で建造
2000名収容

大講堂正面
天皇の名代など
貴賓者入場専用

大講堂内部

幹部候補生学校

説明によるとこの建物の外壁を構成している。レンガ一個がドイツからの輸入で現在の価格にして一個¥20,000

第一術科学校
砲術、水雷、通信、航海
気象、機雷等の専門教育

教育参考館
幕末から第二次大戦迄の
海軍関係者の書や遺品
特攻隊員の遺書など展示

戦艦大和主砲砲弾
高さ1.95m直径46cm1.46トン最大射程
42Km
黒いものは特殊潜航艇 真珠湾攻撃戻りの実物1960年真珠湾外で引き上げられ戻された。攻撃5台の内の1台、全て沈没。
結果 あゝ9軍神!

前のページに戻るにはブラウザの戻るボタンが最も効率的です。

へ戻る