イスラエル・モニターツアー8日間の旅2008/6/11〜6/18 
エルサレム 新・旧市街・ビアドロローサ
2〜4日目 (6/13〜15)

 
テルアビブ・ヤッフォ・マサダ・死海1日目(6/12)はこちらをご覧下さい
メギド・ナザレ・カペナウム・ティベリア・アッコ・カエサリア4〜7日目(6/15〜18)はこちらを
イスラエルの歴史

年代 歴    史 年代 歴    史
BC2000 アブラハム・イサク・ヤコブ・ヨセフ カナン定住 旧約聖書 AD70〜313 古代ローマ支配
BC1300 モーゼによる出エジプト、この頃トロイア戦争 AD313〜636 ビザンチン支配
BC1020 初代国王サウル即位 AD636〜1091 アラブ支配
BC1004 ダビデ(ユダ族)国王即位 ゴリアテを倒した AD1099〜1291 十字軍支配
BC956〜928 ソロモン王(ダビデの子)の統治、シバの女王訪問 AD1291〜1516 マルムーク支配
BC922 北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂 AD1517〜1917 オスマントルコ支配
BC722 イスラエル北王国アッシリアにより滅亡 AD1918〜1948 英国委任統治
BC587 南ユダ王国バビロニアの前に滅亡、有名なバビロンの捕囚であり、ユダヤ民族第一回目の民族離散である AD1948 イスラエルの独立宣言、第一次中東戦争当時65万人の人口で キブツ中心に善戦
BC538 バビロニアから帰還 AD1956 第二次中東戦争、シナイ戦争 ユダヤ人勝利
BC332 アレキサンダー大王ギリシャの支配下に AD1967 第三次中東戦争、六日戦争 ユダヤ人勝利
BC60 古代ローマ支配(古代ローマは寛容で有った。映画ベンハーの悲劇は、私はユダヤ人の頑固さの結果だと思う) AD1979 イスラエル・エジプト平和条約
BC37〜AD4 ヘロデ王(アントニウスの友)統治、BC4年死亡 AD1987 インティファーダ始まる
BC4〜AD30 イエス誕生BC4年、磔刑AD30年 AD1989 ソ連から大量移民
AD66〜70 反ローマの大反乱に破れエルサレム・マサダ陥落、二回目の民族離散 1900年に及ぶユダヤ民族の放浪が始まった。 AD1994 エリコ、ガザ地区、パレスチナ自治区に
2008/6/13  
エルサレム遺跡観光
エルサレムは標高800m程の山の上に有る。全人類にとっての聖都と呼んでも過言ではない。ユダヤ民族にとってはBC1000年ダビデ王以来の都であるばかりでなく、キリスト教徒にとってはイエス受難の地、そして回教徒にとっても平和なる聖都である。何処へ行っても旧約聖書、新約聖書の舞台で有り、イスラエルの観光はまさに私にとっては、毎日が夢見心地であった。
日本の縄文時代と違い、エルサレム、古代ローマ、古代ギリシャにはBC数百年頃よりその史実が文字による記録として正確に残されている。古代エジプトはこれより更に2000年も前から記録されている。
永遠のイスラエルThe eternal world http://www.ne.jp/asahi/eden/kanata/israel/index.html

エルアクサ寺院 
壁の上がイスラム教の聖地
岩のドーム(黄金のドーム)が有る。
左の方がユダヤ民族嘆きの壁
(ユダヤ神殿跡)

ユダヤ民族嘆きの壁  この壁が2000年前のユダヤ王ヘロデの築いた神殿の壁の一部で有り、この地面下20m程に3000年前のソロモン王の築いた壁が見られるように、深く掘られてライトアップされていた。
   

お祈りする敬虔なユダヤ教徒

嘆きの壁の前で
歴史を噛み締めながら・・・

ロシア正教昇天教会
オリーブの丘遥かかなたに

シオンの丘シオン門

シオニズムの名前の原点

最後の晩餐の部屋
イエスが拘束される前に
12使徒と食事
た所
マタイ伝 第26章

ダビデ王の墓
最後の晩餐の部屋のすぐ近くに有る。
BC1004年ダビデ(ユダ族)国王即位

エルサレムベンユダ通り
エルサレムで一番にぎやかできれいな買い物通り

エンカレムの訪問教会

マリアがロバに乗ってナザレから訪問する姿の正面入口。 エンカレムの訪問教会
従って、イエスと洗者ヨハネは従兄弟である
マリアがエリザベツに聖霊により受胎したことを報告している。 エンカレムの訪問教会
エンカレムの訪問教会
マリアがガリラヤ湖の近くのナザレから、ここエルサレムの近くのエンカレムという所に住んでいた親族で従姉妹のエリザベツの所にロバに乗って訪問し、聖霊により受胎したことを報告した。3ヶ月滞在した所である。

ルカ1章41-45
その時、エリザベツは洗者ヨハネを既に受胎していた。洗者ヨハネはヨルダン川でイエスに洗礼を授けたが、後ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスに捕らえられ、その妃ヘロディアの策謀から、娘サロメの要望によって斬首された。
マルコによる福音書6、23-28

6/14ホテルでの朝食

オリーブの丘からエルサレム旧市街、黄金のドームを望む
わが生涯で最良の時
同左 記念写真
わが生涯最良の時

嘆きの壁遠望
近くの人家のテラスより


6/14 ゲッセマネ
(オリーブ搾りの園)

イエスが最後の夜を苦悩のうちに過ごした場所。やがて祭司長カヤバの使わした群集が来て、イエスに対するユダの裏切り(銀貨30枚で裏切った)の接吻により、イエスが逮捕された場所。「先生。お元気で。」と言って口づけした。
マタイ伝26-49

オリーブの丘からゲッセマネ
ケデロンの谷付近
左の写真は中央がゲッセマネの森でゲッセマネの教会(中央白い三角屋根)、少々左の建物は始めて殉教したステファノの教会、少々右の金色に輝く丸い屋根の教会はロシア正教マグダラのマリア教会。
右の写真はゲッセマネの教会の正面(別名万国民の教会)多くの国々からの寄付で建設された。

ゲッセマネの教会
又は万国民の教会

2000年前の出来事を知っているゲッセマネのオリーブの古木
イエスの見たオリーブの古木で感慨無量
2000年のオリーブの古木前で記念写真(ゲッセマネ)
右の写真は最後の晩餐を終えたイエスがこれから起こる事(磔刑)を予想して悩み抜いて、祈ったとされる有名な岩である。ルカ22章-41 そしてご自分は弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。マタイ伝26章-39 「わが父よ出来ますならば、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の願うようにではなく、あなたの御心のようになさってください」 
オリーブの古木の隣がゲッセマネの教会

イエスが悩んで、この岩の上で血の汗を流した(ルカ22-44)
ゲッセマネの教会内の中央祭壇
6/14 ビアドロローサ
VIA DOLOROSA
(悲しみの道、十字架の道)イエスが2000年前十字架を背負って歩いた道。最後の晩餐は木、磔刑は金、土曜日はユダヤ教では安息日なので死刑の作業も出来無い、週の初めの日(日曜日)にイエスが墓から復活した事を早朝マグダラのマリヤと他のマリヤが墓に入って確認した。聖骸布は残されておりこれが現在ミラノの教会にある。
1st Station

ユダヤパリサイ派司祭がイエスをローマ提督ピラトに引き渡した場所で、当時のローマ要塞本部、現在は学校になっており、見学不可。

2nd Station 鞭打ちの教会
イエスが十字架を背負わされた場所に建立された教会

エセホモ教会
(見よ、この人だ)

VIA DOLOROSA
表示のある通り

3ird Station
イエスが初めて倒れる
母マリアの心は如何に?
4th Station 母マリアに会う
この時の母の気持ちは?

5th Station
シモンと言うクレネ人がイエスの十字架を助ける

イエスが壁に手を付いた所
5th Stationの直後

6th Station ヘ
゙ロニカがベールを
当てたベールに顔の跡が残った

6th Station
ベール
はローマの聖ペトロ教会に保存

イエスが歩いた道
そして階段 2000年前

7th Station
イエスは2度目に倒れる 
十字架の重みで

7th Station

8 Station イエスは勝った
すすり泣くエルサレム女性を慰める

9th Station
イエスが3度目に倒れる
コプト教会入口

聖墳墓教会

キリストが復活した岩穴の墓の場所ゴルゴダの丘に建設された。
最後の晩餐でイエスはぶどう酒を最後だと宣言している
10 Station聖墳墓教会内
イエスは衣服を脱ぎ去る 没薬を混ぜたぶどう酒を差し出したがお受けにならなかった。
マルコ伝15-23

11 Station
ゴルゴダの丘で釘付けに

ルカ23:33聖墳墓教会の中
キリストの墓迄、全てこの教会の中

12 Station
イエスは十字架を背負って
死を迎えた

十字架からの降架
母マリア、マグダラのマリアも
母の涙が注がれた
13Station 終油の石 
薔薇色の石灰岩 遺骸が葬られる前に没薬と沈香そして母の涙が注がれた
翌日の日曜日に復活するイエス
14Station イエスが墓に葬られる
マタイ27:59-60この時の亜麻布が聖骸布としてミラノの教会に有る

キリストの墓

悲しみの道の終点  
墓の上に43本の銀製のランプ
6/14 エルサレム観光

ヤッフォ門
古い港町ヤッフォへ通ずる

写本館 死海写本展示
発見された壷の蓋をイメージ
右奥はクネセット国会会議場

エルサレム市街1/50模型
2000年前の第二神殿時代 
左側の壁が嘆きの壁

聖母マリア永眠教会
シオン門の近く

永眠するマリア
聖母マリア永眠教会内
ユダの裏切りでキリスト教が誕生した。ユダは会計責任者
中央塀の中がギリシャ正教会 イスカリオテのユダが購入、ユダの自殺した場所

鶏鳴教会 
ユダヤ教ファリサイ派
大祭司カヤパ邸跡
 

イエスがカヤパの軍隊に連れてこられるレリーフ(鶏鳴教会への階段)
鶏鳴教会(ユダヤ教ファリサイ派大祭司カヤバ邸跡)地下の井戸の中にイエスが一晩拘留された。マタイ伝26-74 すると彼(ペテロ)は「そんな人は知らない」(3回目)と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。そこでペテロは「鶏が鳴く前に3度。あなたは、私を知らないと言います。」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。ペテロはイタリアのバティカン市国サンピエトロ寺院の初代大司教である。その彼がイエスを裏切る、ペテロの中に人間の弱さの原型を見ることが出来る。新約聖書の素晴らしいところとも考えられる。
6/15 岩のドーム
   (黄金のドーム)

イスラム教聖地 
ムハンマド(マホメット)がドームの中の岩の上から昇天した
ユダヤ教聖地 中の岩の上でアブラハムが一人息子のイサクを神に生贄にささげようとして神「エホバ」に初めて認められた(旧約聖書創世記

岩のドーム間近で撮影
中は見学出来無い

岩のドーム

記念写真

同行者の女性
半年前にシリアヨルダンでもご一緒だった

エルアクサモスク(イスラム教)
黄金のドーム前から

不審物を射撃するイスラエルの
警察車輌とロボット 中央
以上でイエスの受難した、新、旧エルサレム市内観光は終了した。次は、いよいよ新約聖書の舞台の中心地となって、イエスが布教した憧れの地、ナザレ、ガリラヤ湖、カペナウム方面へ向かう。6/15〜18
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