スペインの旅 前半  2004/12/10〜13

スペインには38の世界遺産があり、数では世界第一位である。人口は日本の1/3で約4000万人、面積は日本の1.3倍。したがって一人当たり面積は3.9倍、バスや新幹線で走っても見渡す限りどこまでも続く広いオリーブ畑には驚く。しかし歴史的にはかなり複雑である。BC7世紀頃には北アフリカからカルタゴ人(現在のチェニス)が移住してきたが、紀元前3世紀になると新興国ローマと存亡をかけた戦いが始まる。BC218年には名将ハンニバル率いるカルタゴ軍がローマへ侵攻し18年に及ぶ第二次ポエニ戦争が始まったが、敗北。以降700年にわたりローマ帝国の植民地となる。しかし5世紀となるとローマ帝国は衰退をはじめ、ゲルマン民族に征服される。AD711年から数年でイスラム軍に全域を制圧される。AD1031年にはイスラム勢力が衰退をはじめ、レコンキスタ(キリスト教化)が始まり1492年に完了し、スペイン王国誕生。1519年カルロス1世は神聖ローマ帝国皇帝となり、太陽の没することなき大帝国に成り上がった。しかし17〜18世紀は没落の一途をたどり19世紀の混迷を経て、1975年に独裁体制が崩れ、王政復古、民主化が実現した。1992年のバルセロナオリンピックを契機に再び繁栄の時を迎えようとしている。世界遺産は古代ローマ帝国、イスラム文化、キリスト教文化、王国時代の文化、現代の遺産が並存していて興味深い。


12/11バルセロナ 聖家族教会、サグラダファミリアは1882年着工、1892年アントニオガウディーが引き継いだが彼の死後まだ建設が続く工事中の教会。完成は50〜100年後といわれる。現在ほぼ完成しているのは東側の御生誕の正面、西側の御受難の正面のみ。

サグラダファミリア
東側 御生誕の正面

サグラダファミリア
西側 御受難の正面

御受難の正面
ユダがキリストへの
裏切りの接吻

御受難の正面
ペトロの裏切りの
嘆き

サグラダファミリア
東北側 

バルセロナ市内展望
サグラダファミリア
最上階渡り廊下より

モンジュイックの丘より
バルセロナ市内展望
モンジュイックの丘は1992年開催の
オリンピックメインスタジアムの有る公園

グエル公園
モザイクタイルのベンチで有名な
中央広場(ガウデイー設計)

12/12
ラ・マンチャ地方
風車1560年頃出現

風車の内部の
巨大な歯車

店先のドンキホーテ
愛馬ロシナンテに跨り
ドルネシア姫を求めて

クリスマス用品販売
バルセロナ市内屋台

グエル公園ベンチ
アントニオガウディー
12/13 グラナダ 人口26万5千、グラナダは古代ローマ時代栄えた後、8世紀からモーロ人流入、1492年のレコンキスタ(キリスト教化)完了までイスラム教徒のイベリア半島支配の拠点として長く繁栄を誇った古都である。最後の王ボアブディルがアルハンブラ宮殿を築いたがキリスト教徒の礼拝所となって残った。

アルハンブラ宮殿
カルロス5世宮殿

アルハンブラ宮殿
全貌

留め池 又は銀梅花の中庭
公式行事の中心

獅子の中庭
アルハンブラ宮殿

ヘネラリフェ宮殿
用水路の中庭

バルタルの庭と
貴婦人の塔
12/13 グラナダから
ミハスへ ミハスは山の中腹にある白い街。 地中海を望める素晴らしい展望台。 岩を掘り抜いて作った聖母礼拝堂からの眺望

どこまでも続く
オリーブ畑

海岸沿いのリゾート地
ミハス

ミハスの展望台からの
地中海の眺望

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(12/14セビリア&コルドバ、12/15マドリッド&トレド、12/16セゴビア) 

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