KLMオランダ航空直行便で行く 花のオランダ・ベルギー 7日間の旅2012/4/6〜12
第4〜6日目 オランダのフェンロー・キンデルダイク・リッセ・デルフト・アムステルダム
第2〜3日目(4/7〜8)ベルギーのブルージュ・ゲント・ブリュッセル・アントワープはこちらをご覧下さい。
オランダの正式名称は、ネーデルランド王国。国土の面積は日本の九州程の面積。国土の中を縦横に走る運河や川、湖水地帯が目に付く。国土の1/4は海抜0m以下。「世界は神が作り、オランダはオランダ人が作った」と言われる。人口は1667万人で、首都はアムステルダムだが、政治の中心はデンハーグ。民族構成はゲルマン系オランダ人が80%。宗教は28%がカトリック、44%が無所属、言語はオランダ語が主、通貨はEUに加盟しているのでユーロ。円高の影響で物価は日本よりかなり安く感じる。車はドイツ車が多く、たまにトヨタや日産車も見られた。時差は8時間だが、4〜10月は夏時間になっているので、7時間。 歴史の一部 1609年 日本の平戸にオランダ商館設立、1641年平戸から長崎出島に移転、1859年まで続く。1856年日蘭和親条約、1858年日蘭通商航海条約締結。1940年ドイツ軍占領、1945年連合国オランダを開放。 第二次世界大戦のドイツのニュールンベルク裁判ではドイツ人の訴追者は200人にも満たないが、大東亜戦争で日本の軍人はABC級戦犯合計で5000人以上も勝者側から訴追され、1068人も刑死している。ここで私が問題だと思うのは、日本とオランダ間の戦闘は9日間で終り、人的被害も軽少だったが、オランダが日本の戦犯を問う数と量刑は他国と比較にならぬ死刑236名で連合国を抜いて第一位、アジアの植民地を手放させられた報復が一原因とも、そしてオランダの悪徳植民地支配を正当化する補償行為としての嫌がらせも一原因と思われる。更に勝者側の原爆投下を始め東京大空襲で一晩で10万人も非戦闘員を虐殺した「平和に対する罪」「人道に対する罪」は一切不問に付された。 人種と宗教の違いから受ける報復の大きさを常日頃から忘れてはならない。 |
2012/4/10 デルフト、フェルメールセンター鑑賞 白とブルーのデルフト陶器で有名なデルフトは、ひっそりとしたたたずまいのチャーミングな町。今でもデルフト生まれの画家、フェルメールの傑作「デルフトの眺望」さながらに、世界遺産の運河が古い町並みを映している。 | |||
市庁舎 マルクト広場 17世紀火災で焼失後再建 中央の塔は14世紀のもの |
フェルメールセンタ入り口 |
牛乳を注ぐ女 フェルメール 東京都美術館で実物を見た |
デルフトの眺望 フェルメール これらの絵は徳島県の大塚美術館で実物大のレプリカを見ることが出来る。 |
真珠の耳飾りの女 フェルメール 国立西洋美術館で実物を見た |
地理学者 フェルメール 2011年5月渋谷 フランドル絵画展で実物を見た |
IBIS 空港ホテル アムステルダム空港近く 2泊 |
夜警 レンブラント 国立ミュージアム アムステルダム 世界3大名画の一つ 他はプラド美術館ベラスケスの宮廷の侍女達、そしてスペインのサントトメ教会エル・グレコのオルガス伯の埋葬。スペインで鑑賞 |