千葉県  鳴鐘山東勝寺 &成田山新勝寺 &県立房総の村
 
2017/6/15 中井町遺族会役員研修会で 訪問

鳴鐘山東勝寺 
 開基は古く桓武天皇の時代に征夷大将軍・坂上田村麻呂が房総を平定した時に戦没者供養のために建立

 江戸時代の義民・佐倉宗吾が祀られている。紫陽花名所としても知られている。

 
義民 佐倉宗吾 伝
  江戸時代初期 、4代将軍徳川家綱の時代、今から360年前の事です。打ち続く凶作と苛酷な重税に苦しむ農民達を救うため、
  木内惣五郎(佐倉宗吾)ら6人の名主達が幕府に農民の窮状を訴えました。しかし、その訴状は受け入れられず、
  木内惣五郎は、当時禁じられていた将軍への直訴を決行。この直訴により農民達を苦しめていた重税が見直され、村々の願いは
  かなえられましたが、惣五郎は処刑される事に、惣五郎の家族までもがその対象となり、1653年8月3日、幼い子供まで
  刑に処せられました。まさに命がけの直訴でした。
         
   
それから
100年後佐倉藩はその失政を悔い、木内惣五郎の名誉を回復し「宗吾道閑居士」の法号を与え、以来「宗吾様」
  と呼ばれるようになった。今は江戸時代の義民・佐倉宗吾様が祀られているお寺として全国の信者が訪れています。

 

鳴鐘山東勝寺(宗吾霊堂)入り口

仁王門

宗吾父子の墓

大本堂

宗吾御一代記館の説明標識

奥の院説明標識

戦没者慰霊塔

成田山新勝寺 
 
真言宗のお寺であり、大本堂は1968(昭和43年)年建立。三重塔は1712年に建立された重要文化財で総高は25m。
 釈迦堂は1858年建立の重要文化財。
その他光明堂(1701年建立)、額堂(1864年建立)も重要文化財。
 
新春の力士の豆撒きの行事で一般に良く知られている
 

成田山新勝寺入り口の大門

釈迦堂

三重塔

大本堂

大本堂裏の石組み庭園
歴史体験博物館「房総の村」 千葉県栄町
江戸初期から明治初期の近世房総の街並みが再現されている。
商家16棟、総屋、地蔵堂、辻広場、稲荷境内で構成されている。


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