パルミラ・ぺトラと死海を巡るシリア・ヨルダン10日間の旅2007/12/12〜12/21
シリア(12/12〜12/16)
このページは旅の前半 シリアです
旅の後半ヨルダン(12/17〜12/21)はこちらをご覧下さい
シリアは、面積は日本の約半分、人口は1836万人で、一人当たり面積は日本の約3.5倍であるが、かなりの部分を砂漠ならぬ土漠で覆われている。羽田空港から関西空港経由、カタールのドーハ空港、そしてシリアのダマスカス空港迄、実に25時間かかった。民族構成はアラブ人が85%、アルメニア人、パレスチナ人、クルド人等。公用語はアラビア語。宗教はイスラム教85%(スンニ派70%、アラウィ派12%)キリスト教13%。通貨はシリアパウンドであるが、日本からは米ドルで持ってゆく必要が有る。時期的には、犠牲祭やクリスマスの前で観光的には閑散期であり、気候的には冬であるが、夏の猛暑でも無く、遺跡を歩き回るには、天候に恵まれたこともあり、実に快適な気温であった。米国からテロ国家に指定されていることもあり西洋諸国からの援助が無く、かなり貧しい。賃金はヨルダンの半分、乗用車も古いものが多く、物価は安い。古代ローマの影響の強い遺跡群には改めて感心させられた。車は韓国車、日本車、ドイツ車、イタリア、フランス車など様々で有る。シリアの歴史は簡単に記すと、BC3000年アラビア半島からセム語系の民族が住み着いた。BC4世紀アレキサンダー大王の支配とともに交易が活性化、BC3世紀に興った都市国家パルミラは東方貿易の中継地として繁栄、BC63年ローマ帝国と共存し、石造りの壮大な都市を創り上げた。AD661年イスラムのウマイヤ朝はダマスカスを首都とし、750年アッバース朝、11世紀から十字軍との壮絶な戦い、16世紀からオスマントルコ、第一次世界大戦中アラビアのロレンスが支援するアラブ反乱へ、しかし戦後フランスの実質的植民地となった。1946年フランスから独立。 |