福井県  2010/7/18〜19訪問  

 名勝東尋坊 2010/7/18


名勝東尋坊

名勝東尋坊

東尋坊北側の美しい海岸

東尋坊の景観

東尋坊の景観

   永平寺  曹洞宗大本山 2010/7/19
          1244年道元禅師によって開かれた座禅修行の道場。1243年波多野義重公の好意で鎌倉からここに移られた。


大本山永平寺石碑

大本山一般通用口

大本山永平寺全景図

仏殿 永平寺御本尊
釈迦牟尼仏が祀られている

大庫院(だいくいん)食事、台所

法堂 説法や法要が行われる

仏殿の遠望

法堂内部の祭壇

法堂の大数珠

承陽殿開山道元禅師の御真廟
承陽の額は明治天皇より拝領

報恩塔(納経塔)

報恩塔(納経塔)
下の池よりの眺め

山門の四天王像
永平寺参拝は全員が入口から
吉祥閣に入り説明を受けてから
順路に従って内部を参拝する
ようになっている。
参拝時間はおよそ一時間

   福井城跡  2010/7/19訪問
      福井城は徳川家康の次男で一旦秀吉の養子に出された結城秀康が初代藩主。関が原の後、第一位の功績67万石に加増された。
       1601年から6年かかって完成した四層五階の天守閣で、天守台を含めて37M。1669年火災で焼失。現在福井県庁が有る。


福井城天守閣説明図

福井城天守台跡より入り口

福井城天守台入り口

福井城天守台入り口
 

  福井県一乗谷 朝倉氏遺跡
   1467年応仁の乱の後一乗谷に本拠を移し朝倉孝景以来5代朝倉義景迄続いたが、1573年織田信長に敗れて朝倉氏は滅んだ。
   福井市外 東南10Kmの地点に有る。発掘は昭和42年から始められて整備され、一部町並みが復元されている。


朝倉氏遺跡入口の標識

遺跡街並み発掘跡

復元された街並み

越前朝倉氏 夢 舞台

朝倉氏館入口と小川

朝倉氏館跡の眺め

朝倉氏館跡の眺め

朝倉義景公墓所

朝倉氏館内の日本庭園

朝倉氏館跡入口

 石川県  2010/7/19訪問
   兼六園 特別名勝文化財指定庭園 江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園。もともと金沢城の外郭として城に属した庭園であった。


瓢(ひさご)池

根上げの松

日本武尊の像 明治13年建立
西南の役で戦死した郷土出身者を祀る

七福神山

見事な赤松

霞が池の景観

霞が池の景観

霞が池の景観

  金沢城跡 加賀100万石前田家の夢の跡 前田利家 と まつ


金沢城跡石川門
お堀下道路から

金沢城跡石川門
兼六園側から

石川門内側から

石川門よりお堀

橋爪門

再建なった五十間長屋

 富山県  2010/7/19訪問
   七尾城址訪問 能登畠山氏居城。標高300メートルの尾根に大小無数の砦を配置している。

七尾城の戦い  1577年(天正5年)に能登国に侵攻した上杉謙信に包囲されるが、一年にわたって持ちこたえた。
 しかし、重臣同士の対立の末に擁立されていた若年の当主畠山春王丸が長続連、遊佐続光、温井景隆らの対立を収めることができず、結果七尾城は孤立し、最終的には遊佐続光の内応によって徹底抗戦を主張した長氏一族が殺害され、同年9月13日に開城された。
 この際、上杉謙信が詠んだ漢詩「九月十三夜陣中作」は非常に有名である。しかし、実際にはこの詩は上杉謙信が詠んだものではないといわれている。
 歴史は繰り返す。
 天正10年信長が本能寺で倒れるほんの1ヶ月前に、信長の武将柴田勝家の軍勢によって上杉景勝の軍勢の一部がここで全滅している。

七尾城中心部復元イラスト

七尾城址から七尾湾方面
子孫の前荏原製作所社長建立

城山神社 七尾城址

頂上展望台より遠くに
越後方面を眺望

七尾城址より七尾湾方面
上杉謙信が七尾城を半年で攻略して読んだ七言絶句

九月十三夜陣中の作


霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁月三更
越山併せ得たり能州の景
さもあらばあれ家郷遠征を憶う

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